会社が清算される——私が決められなかった1ヶ月半

転籍届の書類とパイプ椅子が置かれた会議室のテーブルのイラスト

「動けない」という言葉が、いちばんしっくりくる期間がありました。

それは、自分の人生を大きく左右する選択を前にして、答えを出せないまま日が過ぎていく時間です。

情報は集まっている、考える時間もある、それでも決断できない。

そんな1ヶ月半が、私にもありました。

きっかけは、ある日、突然の発表からでした。

勤めていた会社が清算されることになり、その場で、まったく進む先が違う2つの選択肢を渡されました。

当時37歳、独身、地方暮らし。

どの道を選んでも、生活が大きく変わります。

私は最後の最後まで決められず、申し込み期限の2日前まで悩み続けました。

最後の一押しになったのは、「ある人」の思いがけない一言です。

この記事では、その1ヶ月半の心の動きを、当時の温度のまま振り返ります。

目次

A社清算の発表を聞いた日のこと

会社清算と転籍の違いを説明する図解。左:会社清算(A社が消滅し、社員が散らばる)。右:転籍(A社から親会社のB社へ社員が移る)。
会社清算と転籍

50名全員が、休憩室に呼ばれた

その日のことは、はっきりと覚えています。

午後の時間帯、いつも通り業務をしていた私たちは、A社(最初の会社)の役員から「全員、休憩室に集まってください」と告げられました。

A社の社員50名ほどが、休憩室に集められたのです。

普段、全員が一斉に呼び出されることは、ほとんどありませんでした。

月に一度の朝礼でさえ、フロアごとに分けて行っていたほどです。

しかし、その日は事務職も技術職も、ベテランも若手も、全員が同じ部屋に集まりました。

業績が芳しくないという話は、社内でもうっすらと耳にしていました。

ただ、こうして全員が一度に集まることは、A社に勤務して初めての出来事です。

「何の話だろう」

集まりながら、誰もがそう思ったはずです。

それでも口に出す人はおらず、休憩室には、どこか張り詰めた空気がありました。

役員が部屋の前方に立つまで、誰も席を動かず、話し声もほとんど聞こえません。

ただの伝達ではない——それだけは、部屋にいた全員が感じ取っていたと思います。

「会社が清算されます」と告げられた

役員の話は、前置きの少ないものでした。

体調の確認や近況の挨拶もなく、淡々と本題に入ったのです。

会社の清算」という言葉を、私はそのとき初めて、自分のこととして聞きました。

清算という言葉自体は、知っていました。

けれど、それが自分の勤めている会社の話だと受け止めるまでには、少し時間がかかりました。

「会社が清算される」とは、つまり、今の会社が無くなるということ。

働く場所も、机も、毎日交わしていた挨拶も、そう遠くないうちに、消えてしまいます。

部屋の空気は、変わったというより、止まったという感覚でした。

誰も声を上げず、メモを取る人もほとんどいませんでした。

私自身も、聞いた話をその場で受け止めきれていなかったと思います。

振り返ると、あの数分間が、1ヶ月半の検討期間のはじまりでした。

残された2つの選択肢

清算の発表に続いて、役員から2つの選択肢が示されました。

一つは、B社(A社の親会社)への転籍です。

B社は、A社に100%出資している親会社で、以前から仕事でも深いやり取りがありました。

また、B社からの出向者もA社に何名か在籍しています。

もうひとつは、就職紹介会社を通じた再就職支援です。

「会社側で紹介会社を手配し、紹介会社を通じて自身で就職活動を行う」という説明でした。

どちらを選んでも、生活は大きく変わります。

転籍を選ぶ場合は、県外への引っ越しが必要になります。

B社の本社は県外にあり、転籍先での勤務はそちらになるからです。

住まいも、生活圏も、つながりのある人たちとの距離も、すべて変わります。

一方、再就職支援を選ぶと、就職活動を、もう一度やり直すことになります。

つまり、35歳までずっと続けてきた就職活動を、37歳にしてまた再開するという意味でした。

そして、回答の期限は1ヶ月半。

その場で何かを決めることは、誰にもできなかったと思います。

私もそうでした。

1ヶ月半の検討期間

県内に残りたい、というのが本音だった

家に帰っても、頭は会社のことばかりでした。

発表を受けて数日間は、まだ現実を受け止めきれていない時期です。

それでも、与えられた時間は決まっています。

1ヶ月半のなかで、どちらかを選ぶ必要がある。

自分の本音は、はっきりしていました。

県内に残りたい、再就職支援を受けたい。

それが、最初に出てきた気持ちです。

地元には学生時代から続く友人もいます。

休日にふと顔を合わせたり、何かあったときに気軽に連絡できたりする関係です。

県外に出れば、その距離も、気軽さも、そのまま遠のいてしまいます。

30代後半から、慣れない土地での生活を始める——イメージしたときに、自分のなかで「動けない」感じが残りました。

もちろん、再就職支援を選んだとしても、簡単な道ではありません。

それでも、地元にとどまれるという一点は、自分にとって大きな安心材料でした。

「正社員だから」と言われたとき、自分の中で何かがズレた

この迷いを身近な人に話したとき、返ってきた答えは、自分の感覚とは少し違うものでした。

「B社は正社員採用だから、転籍したほうがいい」

たしかにその通りでした。

再就職支援を選んだ場合、支援期間は1年と短いため、期間中に希望通りの正社員職に就ける保証がない。

頭では理解していました。

判断軸として、正社員かどうかは大きな要素です。

それでも、自分の本音と、身近な人の助言は、すぐには一つになりませんでした。

県内に残りたいという気持ちと、正社員という条件のあいだに、すぐ橋がかからなかったのです。

ただ、再就職支援を選ぶことにも、踏み切れない理由がありました。

35歳まで続いた就職活動の苦しさを、もう一度経験することになるからです。

その時期の記憶は、今でもよみがえります。

応募しては落ち、面接で答えに詰まり、いつ決まるか分からないまま日々を過ごす。

あの苦しさを、37歳で再び味わうのか——そう考えると、再就職支援を選んだら、自分は本当に「行動できない」のではないかと思いました。

県内にとどまりたいのに、再就職支援には、もう向き合えそうにない。

矛盾した気持ちのまま、時間だけが過ぎていきました。

B社への社内見学と、人によってさまざまな選択

検討期間の途中、B社への社内見学が設けられました。

A社の社員50名のうち、見学に参加したのは15名ほどです。

残りの人たちは、見学の時点ですでに再就職支援を選んでいました。

動くより前に、選んでいた、ということになります。

実際にB社の本社を訪れたときの印象は、いまも残っています。

50名ほどの会社から、千人近くの会社へ

建物の規模も、社員の数も、A社とは大きく違いました。

エレベーターで上がるフロアの多さ、廊下を行き交う人の多さ、部署の細かさ——どれもが、自分が見てきた職場とは別の世界に見えました。

見学のあとも、私はまだ決めきれていません。

周りの人たちの判断は、ひとつではありませんでした。

  • 家族の事情で、県外への移動そのものが選択肢にならない人。
  • A社が長く取引してきた会社に、声をかけてもらって移っていく人。
  • B社では給与水準が下がるとわかり、考えを変えた人。

「動けなかった」と一括りにできる場面ではありませんでした。

それぞれが、それぞれの事情で、自分の答えを出していったのです。

それでも、私の心は揺れたままでした。

1ヶ月半のうち、すでに半分以上が過ぎていました。

夜の自宅のデスクに置かれた2枚の未署名書類とペン、冷めたコーヒーカップ。窓の外には三日月が見える。1ヶ月半の検討期間、自宅で揺れていた時間を象徴するイラスト。

転籍を選んだ理由

流れが変わったのは、給与の話が出てからだった

検討期間の終盤になると、周りの空気は少しずつ変わっていきました。

社内見学のあと、B社の人事担当者から、より詳しい説明を受ける時間がありました。

そこで出てきたのが、給与査定の話です。

B社に転籍した場合、A社時代より給与水準は下がる

それが、具体的な数字とともに示されたのです。

この話が出てから、「転籍しない」を選ぶ人が、目に見えて増えていきました。

家族と暮らしている人ほど、給与が下がる前提は受け入れがたいものです。

家族を持つ同僚たちの判断は、私とはまた違う重さがあったのだと思います。

家計に直結する話ですから、当然の判断です。

そのなかで、私はまだ揺れていました。

給与が下がるという話は、もちろん私にも当てはまります。

それでも、自分の頭のなかで、転籍と再就職支援の天秤は、まだはっきりとは傾いていません。

理由は揃っていたのに、申し込み2日前まで決められなかった

期限が近づくにつれて、自分の中で転籍を選ぶ理由は、少しずつまとまっていきました。

一つめは、再び就職活動を、始めたくなかったことです。

35歳まで続けてきた、答えの見えない日々を、37歳で再び繰り返すことは、自分にはきつい。

これがいちばん大きな理由でした。

二つめは、お金の計算です。

給与水準は下がるものの、転籍者には社宅が用意されていました。

家賃という固定費を大きく抑えられるなら、手元に残るお金で比べたとき、B社のほうが残る計算でした。

三つめは、仕事と将来性の見通しです。

A社で携わってきた業務と似た仕事が、B社でもできそうだ、と見学のときに聞いていました。

ゼロから新しい職種に飛び込む場合と比べて負荷が違います。

加えて、A社ではほとんど上がらなかった給与も、B社なら昇給もあると話は聞いていました。

理由は、これだけ並べられます。

それなのに、私は申し込み期限の2日前まで、決められませんでした。

理由が揃っているのに、最後のひと押しが足りない。

何が足りないのかは、自分でも分かりません。

決められない時間を、もう一度、自分の中で過ごしていました。

A社社長の一言で、決められた

申し込み期限の2日前、A社の社長と話す機会がありました。

A社の社長は、もともとB社のOBでした。

B社で長く働いたあと、定年退職してA社に移った人です。

だから、B社の内部事情もよく知っていました。

そんな社長から、私はこう言われました。

「B社で頑張って周りから認められれば、給料は上がる。B社に行ってこい!」

それだけです。

それ以上の説明も、励ましも、ありませんでした。

けれど、その一言で、私は決めることができました

B社の中身を知らないまま、自分一人で考え続けていた1ヶ月半。

そこに、B社を知り尽くした社長の声が、一つだけ入ってきたのです。

判断材料が増えたわけではありません。

それでも、最後の決め手は、その一言でした。

これが、私の出した答えでした。

清算の発表から1ヶ月半が経ったとき、最終的にB社への転籍を選んだのは、A社の50名のうち3名でした。

そのうち2名は、もともとB社からA社に出向していた人たちです。

つまり、A社で直接雇用されていた社員のなかで、転籍を選んだのは、私ひとりだったということです。

給与が下がること、住み慣れた県を離れること——どちらも、目の前にある事実でした。

それでも、私は転籍を選びました。

今振り返ってみると、「動けない」というのは、判断材料が足りていない状態ではなかったのかもしれません。

情報は揃っていました。

理由も並べられました。

それでも決められなかったのは、自分一人で答えを背負いきれていなかったからかもしれない、と今は思います。

A社の社長の一言は、その重さを、ほんの少しだけ肩代わりしてくれたのだと感じています。

このA社の清算は、私が会社員として経験した「組織変更」の1回目にあたります。

3回分の組織変更を俯瞰した話は、転職しないリスク|動けないまま組織変更3回経験した私に書きました。

あわせて読んでもらえると、シリーズ全体の流れがつかめます。

振り返って、いま思うこと

会社が清算され、1ヶ月半の検討期間を経て、私はB社への転籍を選びました。

決断の最後の一押しは、A社社長の一言でした。

あの一言がなければ、ひょっとしたらB社に転籍することはなかったのかもしれません。

今思うのは、「動けない」のは、必ずしも弱さではないということです。

判断材料が揃っていても、自分一人で答えを背負いきれないとき、人は決められないままになります。

そんなとき、信頼できる誰かの一言が、選択の重さをほんの少し肩代わりしてくれることがあります。

もし、いま何かを決められずにいる方がこの記事を読んでくださっているなら、焦って動かなくても大丈夫です。

情報を集めることも大事ですが、もしかしたら、信頼できる人の声を一つ聞いてみることが、自分のペースで前に進むきっかけになるかもしれません。

私自身、あの1ヶ月半があったから、いまの自分があります。

決められなかった時間も、決断のためには必要だったと、いまになって感じています。

そして、ようやく腰を据えられると思ったこのB社も、数年後にはさらに別のグループへ買収されることになります。

職場は同じなのに、日常が少しずつ変わっていきました。

その続きが、親会社が変わったあとに起きたことです。

その「動けない」気持ちとの向き合い方は、40代・50代の転職が怖い・動けないは当然|辞めずに動くで整理しています。

いま同じように迷っている人に向けて、動く前に知っておきたい選択肢を40代の転職は難しい。動けなかった私が知りたかった選択肢にまとめました。

いーしげ
氷河期世代として、非正規雇用や一人老後の不安と向き合ってきました。

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